「これってよくデザイナーやりたがるんだけどね。霧は自動で発生させられないの?」
これは板に月の形にマスキングをして撥水スプレーを塗布したものだ。それに霧を吹きかけることによって、撥水スプレーが塗布されなかった部分には水がたまって模様を作る。それを周囲の青白いライトが横から照らし、艶やかな水滴を浮かび上がらせる。光っているライトがゆっくりと他のライトに切り替わることによって、ラウンドブリリアントカットのダイヤモンドのように、光と影の形は複雑に変化する。
「これってよくデザイナーやりたがるんだけどね。LEDは切り替わらなくていいんじゃないかな」
雨上がりの夜の水溜りに浮かぶ月や、雨に濡れた路面を照らす信号や車のヘッドライトをイメージした。深夜に散歩がてら近所のコンビニに行く道で思いついたものだ。夏の通り雨が降って、まだ乾き切っていない夜だった。
「これってよくデザイナーやりたがるんだけどね。説明を聞くと君の考えてる情景みたいなものがなんとなく伝わるけど」
課題は大量の試作品を制作することが条件だった。藝大というのは「Don't think. Feel.」というような、四の五の言わずに手を動かせという教育方針だった。そして(大抵の藝大生がそうするように)僕はその課題の条件をほとんど無視して作品を制作した。妙なものだが、藝大の課題においてはルール(条件)というのは、カップラーメンの蓋を止めるシールみたいなものである。使いたければ使えばいい。それによってカップラーメンの味が変化することもない。
「これってよくデザイナーやりたがるんだけどね。そろそろ煙草吸いたいなぁ」
これってよくデザイナーやりたがるんだけどね、と一人の教授は講評中、何度も繰り返しそう口にした。国会答弁で政治家が「不徳の致すところ」と述べるような調子である。
「これってよくデザイナーやりたがるんだけどね。もうちょっと冷房の温度下げてくれない? 暑くてね、汗が顔中で撥水。なんちゃって」
たしかにデザイナーが撥水加工に興味を示すことは多い。僕の研究室の教授もそういう作品を作っていたし、Takramや原研哉なんかもこの表現を取り入れた作品を作っている。世の流行り物に便乗しただけで終わって欲しくないからだろう。何かとAIやら3Dプリンターに飛びつくデザイナーは多い。
「これってよくデザイナーやりたがるんだけどね。それじゃ、次の人の講評へ行きましょうか」
僕の担当の教授は、普段の講評ではほとんど口を挟まず、作品をじっと眺めたり他の教授の意見に静かに耳を傾ける。このときの講評でも何も言わなかった。教授がこの作品にコメントしたのはそれから数年後のことだった。同じことを何度も言ったり、回りくどい表現なんかをしない、まるで俳句のように短い一言だった。
「そういえば、好きなんだよね、この作品」