デザイナー / ウェブフロントエンジニア / 舞台美術家
東京芸術大学デザイン科卒業、同大学院デザイン専攻第三研究室(Time & Space)に入学し、インスタレーションを中心としたメディアアートを専攻する。
2019年にオーストラリアのメルボルン大学(VCA)に留学をし、舞台美術を専門的に学ぶ。学生団体のミュージカルやオペラなどの舞台で美術監督を務める。
その他TEDxUTokyo、SHAPE ASIA PACIFIC等の団体に携わり、デザインチームの一員として活動する。
2021 - 東京芸術大学大学院デザイン専攻第三研究室修了
2019 - メルボルン大学(Victorian College of the Arts)留学
2018 - 東京芸術大学大学院デザイン専攻第三研究室入学
2014 - 東京芸術大学美術学部デザイン科入学
1994 - 兵庫県生まれ
2021 - 第69回 東京藝術大学卒業 卒業・修了作品展
2018 - 佐々木泰樹奨学金採択
2018 - 第66回 東京藝術大学卒業 卒業・修了作品展
2017 - 五芸祭展示
2017 - SICF18 SPIRAL INDEPENDENT CREATORS FESTIVAL
2017 - 芸大Musical Express公演(美術監督)
2017 - SENJU LAB作品上映会
2016 - E年オペラ(大道具/小道具)
2016 - TEDxUTokyo2016 “VIVID VISION” (デザインリーダー)
2016 - 芸大Musical Express公演(美術スタッフ)
ドーナツの穴
「ドーナツの穴はどういう味がするのか?」とある哲学者が言った。僕には思いつきもしなかった疑問だ。きっと頭がいいのだろう。
ドーナツの穴について説明することは難しい。ドーナツから身の部分を差し引いたものが穴である、と言えなくもないが、穴だけを残してドーナツを食べることは(おそらく)できない。
自己紹介をするとき、または自己紹介について考えるとき、僕はこれと同じ問題に突き当たる。自己とは要するにドーナツの穴みたいなものである。
「やったことがないもの」について語ることは簡単だ。僕は宇宙へ行ったこともないし、チェスのルールも覚えていない。
もしくは反対にただ「やったことがあるもの」を並べるのは難しいことではない。例えば、僕は藝大へ通っていた。下北沢や赤坂のバーでジャズを歌っていたこともある。
・僕は宇宙飛行士ではない、というのは正しい
・僕は藝大生である、というのは間違いだ
・僕はチェスプレーヤーではない、というのは正しい
・僕はジャズシンガーである、というのは間違いだ
そんな風に悩み始めると自己紹介というものはとことん難しくなる。だが世間では自己紹介の得手不得手が社会評価を大きく左右する。初対面の人との挨拶にしても、会社の面接にしても、まず自分とは何者かということを手際良く簡潔に述べなければならない。僕はこれが病的に苦手だ。逆立ちしながらカップラーメンを食べる方がはるかに簡単だろう。自己紹介が苦手だというだけでこれまで人生で何度も損をしてきた。
もう少し現実的な話をしよう。
実際の僕は自己紹介をしなければならない場面では、「デザイナーです」と話すことにしてきた。だがデザイナーには資格が要らないので、誰でも名乗ることができる。「人間です」と述べるのとあまり大差はない。
「デザインと一口に言っても、どういうデザイン?」
そこで僕は答えに窮してしまう。なぜなら、(ありがたいことに)藝大のデザイン科の間口はかなり広く、一般的に見れば工芸科だとか油絵科だとか、そういうデザインじゃないもの(芸術・マイナス・デザイン)に属するであろう分野を勉強することも認められていたからだ。特に僕が院生のときに所属していた研究室は、(いわゆる)デザインに興味がない人々が集まる研究室だった。
そういうわけで、僕は「どういうデザイン?」と訊かれたら、大抵は「まぁ、空間デザイン」とお茶を濁してきた。「建築家みたいなの?」「いや、建物は作れない」「じゃあインテリアデザイン?」「いや、人が住む場所をデザインしたことはないかな」「お店のディスプレイデザインとか?」「いや、それも違うかな」……。
英語と舞台美術について。
僕は昔から英語が好きだった。言葉としての英語が好きだった。それでハリーポッターを原書を読んだり、ロバート・フロストの詩を暗唱したりしていた。それから英語のスピーチコンテストにもよく出ていた。自慢じゃないけれど大きな大会で準優勝をしたこともある。
だから自然と海外留学というのを考えていた。中学生の頃、アメリカ人の先生に留学を考えてみてはどうか、と助言されたこともある。それに母親も高校生だった頃にアメリカに留学していたこともあり、幼い頃から留学に憧れのようなものを漠然と抱いていたのかもしれない。
ただすぐには留学しなかった。高校生が長期間の留学をしたり、もしくは海外の美大を受験したりするのはなかなか難しい。まず学費がとんでもなくかかる。だから留学するなら大学の交換留学を利用しようと思っていたのだ。
藝大の入学式のガイダンスの後、僕らはひとりずつ将来の夢やらそういった内容をビデオで録画した(ちなみに卒業式の謝恩会で流された。僕はしゃべった内容を覚えていて何の感慨もなかったが)。そのビデオの中で、僕は舞台美術を学びたいと語っていたのだった。
デザイン科で、舞台美術?
僕はデザイナーを目指したことがなかった。藝大に行くために通っていた美術予備校の春の面談で、「どういうデザイナーを目指してるの?」と訊かれ、僕は「デザイナーになるつもりはありません」と答えた。講師の人々は戸惑っているようだった。だが向こうからしてみれば生徒が受験に合格しさえすればそれでよかったのだから、追及されることはなかった。受験に夢などというものは関係ないのだ。
まったくもって理路整然としていないが、正直に語るとそういうことになる。
とにかく僕は藝大に入学した時からずっと、舞台美術の勉強をしに留学すると決めていた。
そして大学院の時にオーストラリアのメルボルン大学へ留学した。これは本当に素晴らしい経験だったし、語り尽くせないほど様々な出来事があった。
中学生の頃に漠然と留学するという目標を決めてから、十年以上を経て実現したことになる。そしてもう少し具体的に舞台美術を勉強するために留学する、と決めてから六年経ってようやく叶えることができた。なかなか長い道のりだった。
そして結局、舞台美術の世界にも、英語を活かした仕事にも就かなかった。簡単に言うと僕はそういう種類の人間である。
〈結論〉
・僕は舞台美術家である、というのは間違いだ
結局、ドーナツの穴について説明するためには、ドーナツの身の部分について語ることは避けられない。穴について完璧に説明することなど不可能だとしても、それでもいくらか穴の本質というものに近づけるに違いない。
そういうわけで、このポートフォリオサイトにはいろんな作品を載せておいた。からくり人形みたいに部品の多い作品もあるし、ミュージカルの舞台美術も、予備校時代のデッサンも、趣味のフィルム写真も載せておいた。
僕は木工職人でも映像作家でもない。もちろんジャズシンガーでもない。
つまり、ドーナツの穴だ。